ありがとう さよなら 〜(Preview)

g:train側のネタではあるけど。


新幹線0系電車のさよなら運転が、昨日と今日、あった。
…もう一つ、戦前の弾丸列車計画の一端であった、片側を流線型とした機関車が、いよいよ二度目の別れを告げる。
その電気機関車「EF55」のさよなら運転もまた、12月の昨日今日と、来年1月17日に行なわれる。
とりあえず昨日、高崎に見送りに行ってきた。
こいつは僕が中学2年の時に生態保存から復活した、異色の経歴を持つ電気機関車で、戦前の1936年に日立製作所にて製造された。
前側だけが流線型という異端なスタイルはこの電気機関車EF55以外に、蒸気機関車C55にも少数試作されたが、新幹線よりも相当低速な、たかだか時速120km/h程度では流線型の恩賜はあまり得られなかったようで、SLの方は流線型カバーがメンテナンスの妨げってことで早々に量産型と同じ通常のボイラー形状に復元改造されてしまった。
しかし生まれつき専用設計であったEF55は、他の電気機関車に同じく後方にも(流線型ではないながら通常の)運転台を備えてはいたので、少々カッコは悪くとも動かすのに具合が悪いとかって事はないため、量産には至らなかったながらも改造や廃車とはならずにそのまま、物資不足の戦時中をがんばった。このEF55 1号機も戦時中に米軍機からの機銃掃射を受け、前側の運転台は外見こそわからないよう綺麗に修復されているものの、内側には銃撃された弾痕が生々しく残っているという、まさに歴史の生き証人であった。
戦後の高度経済成長期に新性能機関車が続々登場してくると、SLのように前後の向きが決まっていてターンテーブル(転車台)で向きをひっくり返さないとかっこ悪いEF55は使い勝手が他の機関車よりも劣ることから引退し、確か岩倉鉄道高校に静態保存されていた。それが復活したのが、20年ちょっと前の夏。
当時部活で写部に所属していた僕は当然のことながら「撮り鐵」で、しかも先輩の影響で茶罐*1の追っかけをしていた。
そのラインナップにEF55がカムバックしてくると聞き、いても立っても居られなかった僕は、難色を示す担任を説き伏せて中学生1人分の学割証を発行してもらって高崎まで撮影に…というのは表向き、実はEF55牽引のイベント列車に乗車して新潟県の石打まで往復してきた。そういう想い出がある。

さすがに戦前製の電気機関車ともなると、部品の入手が困難すぎて、故障ともなればほぼワンオフで製作しないといけない羽目になり、一昨年に故障してからはずっと高崎車両センターで放置の憂き目にあっていた。
同様の境遇にあって「お召し列車指定機」だったEF58 61号機も、皇室団臨専用電車E655系の登場により御料車「1号編成」が役目を終えたため、今年引退して1号編成と共に大井*2御料車保管庫に保存されることとなった。それによってEF55 1号機はJR東日本保有する旧性能機関車としては最後の存在となり、弾丸列車計画が戦後の高度経済成長期になって実現した「新幹線」の0系電車のラストランイベントとなったこの土日、西とは違ってささやかではあるけども同じ日に、イベントを行なってくれたのは、EF55の生い立ちを少しでも焼付けようとの配慮があったからに他ならない。

残念ながら1月の、本当にラストランとなる上野発の列車は、指定券の発売日がモロに平日で10時売りには買いに行けなので、また上野に見送りに行くか、終点横川で待ち構えるかしかないのかなぁ。

*1:戦前からのクラシックな茶色塗装の機関車

*2:JR東日本東京総合車両センター