自分のすべき事。

ネトゲは人と人とのつながりあってこそのネトゲ
いろいろな良い影響も受ければ、叱咤激励が度を超えて凹むことだって少なくない。
出来る事と出来ない事、出来ない者にとってはこの壁は大きい。
物理的に大きすぎて攻略に時間の掛かる壁、下から眺めればどれだけかかるのか解りゃしない。
でも上にいる人達は皆『すぐなんだからとっとと来い』と云う。
上にいるのなら下の方はよーく見通せるのだから、そう云うのは簡単だ。
ましてや、『自分も一度通って来た道なのだから、あんただってできるよ』、と云われれば、そりゃそうだ。
でも、云われる方は暗中模索の真っ最中、一体どっちに行けば上なんだか解りゃしない。
言われる方にとっては、精神的に苦痛となる事すらある。
そういうところで手助けの出来るコミュニティがあるかどうか、これってかなり大きいと思う。
残念ながら、私はそういう手助けをできる立場になければ、寧ろ借りられる立場でもない。
Lvも足りなければスキルもない。装備も借り物、ましてや合戦中、状況が許せばN狩りもしたいけど、敵のパワープレイの前には到底そんな場合じゃない。
今自分に出来ることは何か、そして何をすべきか、それを見失ってしまうほど、欝に入ってしまう、悪循環。

今、プロ野球北海道日本ハムファイターズで活躍している新庄選手にも、かつて阪神タイガースに所属していた頃に、そんな時期があった。
もう長いこと優勝から遠ざかっている最下位常連球団であった阪神、カンフル剤として迎え入れた優勝経験監督の吉田さんをもってしても、ダメ虎球団の建て直しは叶わなかった。
新庄選手も、デビュー当時には1軍初打席ホームランをはじめ、ちょっとした華々しい活躍もあったものの、その後低迷。彼のように俊足強打で鳴らした北村選手がかつてつけていた「背番号5」が泣いている。
そこで阪神球団のとった苦肉の策は…ヤクルトで何回もの優勝を成し遂げた実績のある野村監督を迎え入れた。
野村監督は、真っ先に選手たちの『心の改革』を始めた。それまでヤクルトで取っていた「ID野球」という方法ではなく、素質はあるのに今イチ成果の上げられていない選手を花開かせるための、意識教育から始めた。
そして、野村監督は新庄選手にもメスを入れる。新庄選手低迷の原因を、自信喪失で拠り所を失っているのではないかと考え、周りの誰もがアッ!と驚く方法で彼を立ち直らせた。
それは、これまで野手一本道だった新庄選手に、ピッチャーをやらせたこと。当時、『二刀流』と言われ回りの誰もが何故そんな無謀な事を?!と酷評した。
野村監督の狙いは、こうだ。『ピッチャーは毎回毎回、一人のバッターと対峙して、毎打席勝負を積み重ねていく。バッターを一人づつアウトにしていくことで、少しづつ達成感を積み重ねていく、そんな楽しみを彼に味わってもらいたかったんだ、それはやがて彼の大きな自信の元になるだろう、と。』
そして、周囲から大きな酷評を受けつつも、新庄選手は紅白戦やオープン戦で何回かマウンドに登板、その後のシーズン中において打者として野手としての大活躍の礎となったことは事実のとおりである。
この時点で彼がメジャーリーグにまで挑戦して、当時の想像を上回る活躍までもしたことは、まだ記憶に古くなく、そして現在誰もが知っているの『日ハムのSHINJOありき』につながっている。
当の立役者 野村監督は、不幸にして身内の不祥事のため未完のまま阪神球団を後にしたが、翌年から指揮を取ったあの星野仙一監督が見事2年でリーグ優勝に導いた。
野村監督は、崩壊寸前だったチームを見事に固め上げ立派な礎を作ったと言える。

そんな夢を…ゲームの中でぐらい見たいと思うのは…甘いだろうか?