伝令とか…

演歌さんとこにつけるコメントのつもりが、長ったらしくなったので、自分とこに貼ってトラックバック

ログインした途端に本家伝令衆のかげろーさん辺りから陣取り表が対話で送り付けられたりするので、

日曜は偶々早起きできて朝から稼動していただけです!
…たまたまなんですよ、た・ま・た・ま。

土曜晩に拉致った時のスタイルが昔の伝令衆に近いかな?
HQの光さんと私が戦場を動き回って、囮を何度か兼ねながら情報収集して
(自分が囮したところの取り付き成否は自分で確認できるし党首からも対話が来る)
徒党会話で他の伝令に即フィードバック、
掲示板に固定党首の龍咲海さん(光さんの2アカで運用なので霊石供給係を兼用)がいるので
成仏マラソンで戻ってきたら所作で党首起こしてまた加わると。
人数に空きがあるので、適当に囮職人を拉致ったり、
武将徒党行ってる人の2アカを拉致って情報得られるようにしたり。
家老部隊が機能している今では家老部隊のが情報早いですけど、
中老までしかいなかった時期は横のつながりはそうして維持していたものでした。

そして、ミスに対して風当たりが強いです。
取り付き状況の把握が漏れてたりすると「○○とりついてるでしょ」
・・・そんなつっけんどんに言わんでも。
正直、もうちょっとぐらい優しい言葉で言ってくれないものかなと毎回思ってます。。

失敗に対する反発、ありましたよ。
武将徒党が7つぐらいあった頃、攻める徒党の交通整理の下手さっぷりが原因で、
某中堅後備墜としの得意な党首忍者さん(最近見ません…)と相当険悪になったことありましたねー。
そのお方とはしばらく疎遠気味になっちゃいましたが、
それから何回か後の川中島で、長尾で忍者が割れた時の事、
囮して幽霊状態でさまよいながら大声で「長尾に忍者の救援を!」と叫んでいると、近辺にそのお方を発見。
おそらく偵察に裸装備で行動していたのでしょう、それが本気装備に着替えています。
ああいうことがあった後なので相当躊躇いもしたのですが、後備の陣を落とせるか落とせないかは当時の戦局に大きく影響することだったので、
思い切って周囲会話で「○○さん、行けますか?」と。そうしたら、大声で「行ってみます」と頼もしいお返事。
私もその場で転生を貰って、もう一度露払いを務めて長尾へ送り届けました。
そのおかげか長尾撃破に成功。それ以来また元通りに活動できる間柄になった
・・・ということがありました。
mamaが入院してしばらく信onを離れる時まで、武田の合戦でよくご活躍なさっていたのを見ていますし、
上杉復興戦でも2ndの鍛治屋さんが北条籍で御癒姫と同じ富永隊だったのでご一緒だったのをよく覚えています。
その後私は私的事情もあってあまり参戦できなくなりましたが、特化目録導入当時までは武田にいらっしゃったのを覚えています。
多分出奔されてはいなかったと思いますが、いつの間にか引退されていたようです。。。