昨日は2(高校再訪)

恩師宅からの帰り道は、地図の上では概ね直線に近い2.9km*1
途中、バス通りがS字と説明した真ん中付近で直交するまでがひたすら下り坂で、局地的に大型バスが通れないほどの急坂*2がある。
そのバス通りと直交したところが、実は通っていた高校の名前がついた入口バス停で、ここからは多少曲がった上り坂で学校に向かっている。学校が丘の上に建っているので、ひたすら登り坂だ*3
賢いことに、このEZナビウォークったら高校の敷地内を通り抜ける道を示してよこしたのだwww*4
せっかくなので、ナビの示すまま最短コースをショートカットさせてもらうことにした。
実は卒業式には出ていないのでその数日後に私服姿で卒業証書を職員室に取りに行ったのを最後に、15年半ぶりに訪れたことになる。
日曜だったので、部活に来ているジャージ姿の生徒数人を除いて見かける姿もなく、事務室が受験生向けに願書を配布しに営業しているだけだった。
大きく変わっていたのが新校舎*5の存在。
在学中は駅方向の裏門からしか通学してなかったので、正門の風景って全く馴染みがない。しかし、在学中は文科系部活動のクラブハウスとして使用されていた卒業生記念館という建物と、その隣にあった院長先生の御宅と、その裏手の坂下にあった職員寮とを取り壊して、新校舎を建てると言う話を聞いていた。(実際にはクラブハウスは取り壊さずに旧院長宅と職員寮を取り壊して建てたようだけど。)
その新校舎には、変わってしまったイメージロゴデザイン調の校章が掲げられ、「空飛ぶ獅子の羽根*6」と校友誌のサブタイトルにもなった、マンティコアだかグリフォンだかのようなかっこいい校章が過去のものとなってしまっていた事に軽い眩暈を覚えた。
しかし、校舎前の中庭に現存している記念碑には旧校章と、在学中に亡くなった院長先生の座右の銘であった「NEVER, NEVER, NEVER GIVE UP!」という言葉がしっかりと残っていた。*7
記念碑だけケータイで撮って、特徴ある形の旧校舎に懐かしさを覚えつつ、かつて登下校した校舎沿いの道を、あまりキョドらないようにそそくさと通り抜けてきた。

駅まで向かう長く緩やかな下り坂も懐かしく、ファミマはあのときのまんまだな、やけにバブリーな眼科がメガネ屋として繁盛しているなまるで在りし日の秋山眼科*8みたいだな、モスは看板が緑に変わっただけで他の雰囲気は変わってないな、昔通っていた英語教室の入っている雑居ビルも全然変わってないな*9、などと考えながら駅まで戻った。

*1:EZナビウォーク調べ

*2:鐵ちゃん流に言うと、ゆうに150パーミルを越えていると思われる。

*3:ただ、この正門に続く登り坂は、自分の通学コースではなかった

*4:一応表向きには「関係者以外立ち入り禁止」であり、駅に近い方の裏門には在学中にはなかった守衛所ができてた。正門側は新校舎から丸見えなので特にない。ただ、正門から裏門方向には敷地を迂回する山道があって、石段の登り降りは辛いけど所要時間的には大差なく駅方向に抜けられるようになっている。ついでに、この山道は冬季体育のマラソンコースの一部であり、運動部に属していると年中走らされる

*5:第4校舎になるんだろうか…

*6:…と書いて「空飛ぶ寿司の烏賊」と揶揄されていた

*7:これで学校名判る人には判る。第20期生です。

*8:旭化成アイミーの前身・国際コンタクトレンズ(株)は横浜市の大手眼科医院・秋山眼科から発足した。

*9:その英会話スクールはとっくの昔に廃業していたのは知っていた。自分の生まれる前から存在していた伝統校で、今時の英会話スクールでは当たり前になっている「教師は全員外国人・完全少人数制」のスタイルを国内で最初に確立したスクールだった。